こんばんにちは、まりこです。
今回は、以前書いた記事の後編をお届けします!
前回(前編)では、日本の山の現状や、森づくりの考え方について吉田さんに伺いました。
後編では、人々の暮らしと森の密接な関係について、紐解いていきます。
自然と共に生きてきた暮らしってどんな暮らし?
吉田さんが夫婦でやられている「合同会社はたをらく」。ホームページの「ABOUT」を開くと、次の言葉が並んでいます。
「自然の恵みを享受しながら、自然と共に生きてきた
そんなかつての人々の暮らしは 忘れ去られてきています。」
「私たち、 はたをらくは
人の暮らしと自然のバランスを考えながら森づくりをし
未来により良い形でバトンを渡せるようにしていきます。」
自然と共に生きてきた昔の暮らしのありようは、どんなものだったのか?
吉田さんたちが、思い描く暮らしってどんな暮らしなのか?
吉田さんに伺ってみました。
服は薬になる?植物、衣類、人の意外な関係
自然の恵みを享受して、自然と共に生きてきたかつての暮らしというのは、具体的にどんな暮らしでしょうか?
"草木染めにしたってそう。例えば、薬を飲むことを、服用するって言うでしょ。なんで服って字を使うかというと、経皮吸収って言って、肌からすごい吸収する。
だから草木染めしたものを着ることで、草のいろんな薬効を皮膚から吸収できる。よもぎで染めた服っていうのは、服自体によもぎの成分が入ってる。それを着るってことは、要はよもぎを食べてるのと一緒。服自体が薬っていう意識があったで、薬を飲むことを一服とか服薬するとか。そういうところから来てるらしくて”
なんと、なんと!目からウロコ。経皮吸収のことも知らなかった私は、大感動してしまいました。
身体に不調があれば、その不調に薬効のある草木で衣類を染める。煮炊きにも、山からすんば(杉の枯れた葉っぱ)や枯れた枝を拾って使う。
吉田さんは「生活の中で植物とか自然が当たり前に使われてきていた」と、自然と共にあった昔の暮らしについて教えてくださいました。
いま私が使っているシャンプーや洗顔、着ている服から皮膚は何を吸収しているのか・・・。
化学製品、化学繊維が浸透している現代を鑑みると、そこには大きなちがいがあることに気づかされます。
松茸はなぜ高い?人間の暮らしが、森の風景を変えてきた
続いて吉田さんは、「生活の中で植物とか自然が当たり前に使われてきていた」時代の山と、現代の山を比べながら、その背景にある暮らしと山の姿の繋がりについて、松を取り上げながら語ります。
”松茸って昔よくとれてたけど、今とれないんやって。なんでかっていうと、松に適した環境じゃなくなっちゃったから。
松に適した環境っていうのは痩せた土地なんやって。じゃあ今なんで痩せてないのか?っていうと、昔は煮炊きとかで葉っぱとか枝とかみんな持ってっちゃったで、腐葉土がなかったから山の土が肥えてなかった。
だから松にとっては生育しやすい環境だったんだね。そうすると松茸がばーって出てくる。昔は松茸がそんな価値なかったらしいね”
そのうち、ガスや電気が登場してきて、生活における煮炊きのための枝葉をゲットする必要性がなくなっていきます。
そうするとどうなるでしょう?
土の上に落ち葉などが蓄積して、山がどんどん肥えていきます。痩せた土地を好む松にとっては、生きづらい環境に。
吉田さんは、松枯れについて「原因は無視ではなく、松自身の生命力」とご自身の見立てを共有してくれました。
"松枯れって何年も前から言われてる。原因はマツノマダラカミキリっていう虫が、松の中に入っていって、その虫についてるマツノザイセンチュウが松の中でわって広がって枯れちゃうっていうんだけど。
これは俺が思ってるだけだけど、なんで枯れちゃうのか?っていったら、人間の免疫力と同じで、松自身の生命力が落ちてるから広がっちゃってる。原因は虫じゃなくて、松自身が弱くなってること。
じゃあなんで弱くなってるの?っていったら、地面が肥えてる。なんで地面が肥えてるの?っていったら、人間が山を使わなくなったから。だからある意味共存してたってことだよね。人間と松が"
吉田さんの仮説、おっもしろ〜〜〜〜〜!!!現象の根本をつきとめる見立てに、感嘆符。
ちなみに、福井県の「県の木」は松ですね。日本の中でも福井県では松を使う文化だったそうで。
たくさんあった松の木も、これまで述べてきたような時代の流れでなくなっていきました。
そこへ全国の植林の流れが合流し「松枯れたところ全部杉植えようぜ!」と植林した歴史が、現在の福井県の山の風景をつくっているそうです。
松枯れと同じくナラの木が枯れてしまう「ナラ枯れ」も根本的には同じ理由ではないかという話もありました。
"ナラ枯れするのは大木なんだって。ナラは薪とかしいたけに向いてるで、昔はナラをよく使っていて、自然に萌芽更新(ほうがこうしん:切った株から新しい芽が出てくること。多くの広葉樹が行う。)していたんだと思う。ナラを切って20年くらいしたらまた同じ株から生えてくる。その流れさえ、途切れさせずに管理していたら、永遠にいける。
だから逆にナラの大木がなかったんだと思う。しいたけづくりとか木炭作る人とかもすごく減ったから、ナラが大きくなっていって、昔はなかったナラの大木がそこらじゅうにあって。
なんらかの理由で虫が入って枯れる。ナラも人間が利用する環境の中で適した形で、多分長い年月をかけて共存してたんじゃないかって"
人間の暮らしが、森の風景にそのまま直結していただなんて...!
この話を聞く前と聞く後じゃ、山の見え方がちがうなって思います。みなさんはどうですか???
これまで述べてきたような暮らしは、かつて人々が営んできた暮らしのありよう。
吉田さんご夫婦が「合同会社はたをらく」として思い描く暮らしは、完全にそこへ戻っていくことではないと語ります。
"そこへまるっきり戻したいか、というとそうではない。俺らが思う形としては、クロモジ茶みたいな、日常の中に取り入れやすいもの。
日常の中にクロモジ茶があることで、要は意識を山に向けるやん。そもそも山に対して意識が向けなくなってることが問題だなって俺らは思っていて。
まずは意識を向けてもらうこと、ってことが、山を大事にしていくことの第一歩かなって。"
吉田さんご夫婦が手がけるクロモジ茶は、今日も誰かの食卓で現代の暮らしと森をつなげています。
草木染めと経皮吸収のこと。
松枯れとナラ枯れの原因。
暮らしと山の密接な関係。
吉田さんが教えてくれた、あまりにも面白い山の話たち。
余談ですが、かんじきはクロモジとかアブラチャンから作られていたとか、昔山へ薪取りに行って背中に担ぐための紐を忘れたらクロモジを使ってたとか。ってことも教えてくださいました。(全然知らなかったゾ・・・!)
こういうことをどうやって勉強したのか?と聞いてみると。
近い現場で作業している林業従事者のおじちゃん(18歳の時から林業関係の仕事をされている)だったり、
吉田さんが以前働いていた材木屋の親方さんだったり。
吉田さんがこれまでの経験や知識を踏まえて考察してみたり。
やっぱり、森に長いこと関わってきた方から学ぶことは多いのですね。
池田町にもきっと、そういう方が多くいらっしゃることでしょう。
師は、偉大なり。まだ聞けるうちに、いろんなことを聞いておきたいと思います。
最後に。この記事では、林業における多様な考え方のうちのひとつを紹介しております。
山づくりや暮らしにつて考えるためのきっかけにして頂けたら幸いです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
まりこ
(本名 川上真理子)
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大都市で24年間をTO DO(したいこと)ファーストで
生きてきて、大学3年の時に自分の在り方の大切さ
に気づく。
ご縁がありたまたま出会った池田町での
素朴で等身大な人や自然に惹き付けられ
大学院卒業後、新卒無職で池田に移住。
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現在の活動はこちら👇
●池田町見習い人(めざせ何でも屋)
●ローカルとジェンダーに強いライター
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好きな食べ物)ちんころいも※池田町限定
現在、畑仕事や古民家改修により筋肉強化中。